『ルワンダの涙』 映画

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1994年のルワンダでのフツ族によるツチ族のジェノサイド(大量虐殺)を描いた作品

主人公がルワンダに30年以上住む神父なため、宗教的な意味合いの強い作品になっている



国連について

主人公と若い白人の教師にジャーナリスト2人、30人ほどの欧州人、そして2千人のツチ族が非難している学校には、少数のベルギー軍が駐留しその場の安全を確保していた。しかし彼らは平和遂行軍ではなく平和維持軍であると神父に念を押していた。つまり自衛のためにしか武器は使用せず上からの指示がなきゃ何もできないのだ。(このことがジェノサイドのひとつの要因となる)
途中フランス軍がやってきてツチ族のみんなは大喜びするのだが、断固として欧州人のみの移送しか行わず2千人のツチ族は置き去りになった。
その後ベルギー軍も撤退する。撤退すれば2千人のツチ族は全員殺されるとわかっていながら、、
私はこれらのことに強い怒りと落胆を覚えた。目の前に救える命があり、救える手段もあるのに2千人もの命を先進国は見捨てたのだ。確かにその前にルワンダの大統領と共に7人のベルギー兵士が殺害されたことが撤退の要因であるとも考えられる。しかし、自国の人間ではなくても命は命である。なんのための国連という組織なのか。組織の在り方に疑問を持たざるを得ない。
ベルギー軍が撤退するとき、ある子供の親が軍のリーダーに言った。
「ここにいる全員を拳銃で殺してくれ。それが無理ならせめて子供たちちだけでも今すぐ殺してくれ」と。
彼らは生きる希望を失ったのだ。というより奪われたのだ。自分が、そして自分の子供や家族が死ぬことを覚悟したのだ。
それがどれだけ辛いことか。
辛いなんて言葉では表せない。



宗教について

主人公の神父はみなが学校に避難している間も毎日欠かさずミサを行い続けた。「こーゆうときこそ神の力が必要なのだ」と。ツチ族の子供たちもキリスト教の教え、神の存在を信じ祈り続けていたのだが、今起きてる現実と状況に神の力を疑い始めてるように思えた。たくさんのツチ族が無惨に殺されてる姿をみるだけで、駐留しているベルギー軍をも動かすことができない。神父は自分は何もできないと嘆く。
宗教は確かに心の拠り所などの意味合いがあり存在価値はあると思う。しかし、宗教の持つ力を過信してはいけないと私は思う。現実にこの虐殺で80万人もの命が奪われたのだ。それも同じ国の人間たちにより。こんなに残酷なことはない。歴史上例を見ないほどの大虐殺である。毎日お祈りをしていた子供たちは何が救われたのか。
最後の最後神父が知り合いのフツ族の男に殺される直前、自分を殺そうとする男を見て「こんな状況でも君の目に愛を感じる」と言った。それが印象的だった。
結局宗教の教えとは愛である。自分を殺そうとする男にまで愛を感じた彼には言葉に表せない尊敬の念を抱いた。宗教には批判的だが宗教を通じて得た彼の考え、愛は人として人として本当に素晴らしいと思った。



歴史について

結局私たちはこんな哀しい歴史を知って何かをするわけではない。誰かを救えるわけでもない。しかしこの歴史を知り、伝えていくことが大事なのだと思う。ひとりの力ではなにもできないがその数が増えていけば、必ず世界は変わると思う。そーやってひとりの命でも救えることができれば、歴史を学ぶ意義はあるのではないか。
貧しい人、哀しい過去と今の自分の状況を比較して自分がいかに幸せかを知るのは簡単である。しかしそーやって幸せを感じるのではなく、周りの人たち、環境に感謝することで幸せを感じる人間になりたいと思う。



この話は大方実話であり、虐殺を生き延びたツチ族の人達もスタッフとして参加していたものであるからリアリティは相当なものである。だからこそ怒りの感情も哀しみの感情も大きなものであった。



最後になるがこのような哀しい出来事が二度と起きないこと心から祈るとともに、ルワンダで亡くなった多くの人たちに哀悼の意を捧げたい。